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第49回高圧討論会 終了報告

第49回高圧討論会は11月12日から14日までの三日間姫路商工会議所で開催されました。

学会賞と奨励賞を受賞されたお二人
幸い三日間とも秋の好天に恵まれ,大きな混乱も無く無事に閉幕できましたのも,皆様のご協力の賜物であり,厚く御礼申し上げます。

今回の討論会では294件の発表があり,350名を越す参加者を得て,実りのある議論が交わされました。討論会のスケジュールは例年とほぼ同じですが,簡単に振り返りますと,初日には二つのシンポジウム,「高圧極限環境下における生体関連科学(世話人;小山純弘,JAMSTEC)」と「DAC技術最前線(世話人;大石泰生,JASRI)」が終日並行して行われました。

ポスター賞を受賞された方々
二日目は午後のポスターセッション終了後,姫路市立城郭研究室上田耕三先生による特別講演「世界文化遺産・国宝姫路城の特徴と保存修理」,大阪大学大垣一成先生による学会賞受賞記念講演「Gas Hydrateの物性と機能」,総会と続き,最後に懇親会が開かれました。三日目は一般講演のみが行われ,午後3時過ぎに全ての日程が無事終了し,撤収作業が始まりました。総会の折り,青木会長より,事務局を切り盛りして下さっている白岩千賀子氏が来夏でご退職されるとの報告がなされましたが,それと共に,事務局移転の可能性もあり,保管されていた古い資料の処分と併せて,次回に引き継ぐ物品の撤収を行いました。

大学に戻り,この原稿を書きながら,古い資料を眺めていると,蒔田先生がお纏めになったと思われる高圧討論会の第1回(1959年)から第8回(1966年)までの「高圧討論会記録(永久保存版)」という資料など,私が始めて参加した討論会(20回(1979年))以前の高圧討論会の発展の様子が窺がえる資料がありました。今回は第49回ですが,1974年には開催されておりませんので,本来なら50回目という節目にもなりますので,これらの資料に基づき半世紀の討論会の歴史を簡略に振り返ってみたいと思います。

第1回(1959年)は京都大学で開催され,シングルセッション(二日間)で20件の発表が行われました。その後7回目までは同程度の発表件数で推移し,第8回(1966年)で46件の発表となり,2セッションで行われています。日本でAIRAPTが開催された1974年以後発表件数は100件を越え,23回(1982年)討論会から現在と同じパラレル4セッションとなっています。日本高圧力学会が発足した1989年(30回)には発表件数が200件を越えました。ポスターセッションが開始されたのは32回(1991年)討論会からであり,この回を境にその後,多少の例外はありますが,250〜300件程度の発表で推移しており,高圧討論会も安定期あるいは成熟期に達しているのかもしれません。「高圧討論会記録(永久保存版)」は参加者名簿など殆ど手書きの青焼き資料で,黎明期の古き良き時代の雰囲気が垣間見える資料です。また,民間企業に所属しておられる研究者の参加者に占める比率が高いことも見て取れますが,有機物の高圧合成や装置開発が大きなテーマであったことから当然の帰結かもしれません。これらの資料から高圧討論会は,1970年以前の黎明期ないしは揺籃期,70年から90年までの発展期を経て,成熟期に達したと解することができます。日本高圧力学会が発足した時期が,丁度,発展期から成熟期への節目になっており,両者の符合に興味が惹かれました。

期間中多くの参加者の皆様に「お世話になります。」,「大変だったでしょう。」との労いのお言葉を頂戴しました。しかし,高圧討論会は事務局白岩さんの1月末から開催日までの詳細かつ綿密なタイムスケジュールの下に準備が進められており,実行委員会はそのスケジュールのうち,現地での準備のみをこなしてゆけば遺漏なく開催日を迎えることができるようになっており,白岩さんのサポートが得られない再来年の討論会こそ「大変だったでしょう。」という労いの言葉がふさわしい討論会になるものと思います。

最後になりましたが,今回の討論会の開催に当たりご協力頂いた姫路商工会議所,(社)姫路観光コンベンションビューロー,姫路市,(財)ひょうご科学技術協会,また広告・展示を実施していただいた各企業の関係者をはじめ,会議をご支援下さいました多くの方々に紙面を借りて御礼申し上げます。

第49回高圧討論会実行委員長 川村春樹
(兵庫県立大学大学院物質理学研究科)

日本高圧力学会事務局
kouatsu_office(at)highpressure.jp